ファウンデーション技術部 室長

森田 慎一

1998年入社 機械工学専攻

※部署名や役職名などは、取材当時のものです。

ファウンデーション技術部 室長

森田 慎一

1998年入社 機械工学専攻

※部署名や役職名などは、取材当時のものです。

『10年後、メルセデスベンツの仕事をしたい。』
思い続ければ、夢は必ず実現する。

父親の仕事の関係で幼少期を英国で過ごした。ある時、知人にシルバーストーンサーキットで開催されたF1を観に連れて行ってもらい大いに感動した。それ以来F1の世界に魅せられ、自動車に関わる仕事をしたいと思っていた。その後日本の大学で機械工学を専攻。就活の企業研究で「ものづくりを極めるには部品サプライヤーだ」と感じ、国内ではディスクブレーキの生産で最も歴史の古い会社の一つ、住友電気工業に入社。高級車用ブレーキキャリパーの設計担当となり、2001年の会社設立と同時に、アドヴィックスへと働く場を移した。

Section.01

アドヴィックスをもっと有名にしてみせる。

2001年のアドヴィックス発足当時、社員はそれぞれの出身会社から出向の立場で働いていました。転籍を決断する日が近づくにつれ、「こんな無名の会社に行くべきか?」と周囲からは聞こえてきました。私は自己実現できる環境なら会社は問わない考えだったので、「だったら有名にしてやろうじゃないか」と密かに心に誓い、量産車向けの製品開発に加え、アドヴィックスのプレゼンス向上のため、モータースポーツ活動や、コンセプトモデル製作、リクルート活動など、さまざまな活動を通じプレゼンス向上に取り組んできました。

当社は国産車向け製品の企業と思われがちですが、実際には国内外のカーメーカーにブレーキを供給しています。私は幼い頃から車が好きだったので、欧州のプレミアムカーのコンペは特に熱くなりました。しかし性能・品質で負けていなくても、欧州のコンペティターのブランド力は強く、なかなかその牙城を崩すことはできませんでした。

そんな中、2008年にある日突然チャンスが訪れました。ダイムラーから技術プレゼンを求められたのです。我々の製品の市場品質が良いことを綿密にリサーチし、声をかけてくれたことを後で知り、非常にうれしく感じました。
ドイツでのプレゼン当日、逃げ出したいくらい緊張しながらも腹を決め、居並ぶダイムラーの技術者の皆さんの前で当社の技術力をアピールしました。終了後、「大変興味深い。では、現在ダイムラーが抱えている技術課題を解決できるか?」という宿題が出され、この日から3年におよぶプロジェクトがスタートしました。

Section.02

ダイムラーが認めたチームメンバーと共に戦った日々。

早速、設計・解析・実験の技術者と4名のチームを結成し、1年がかりで技術プレゼンや、実証試験を繰り返し課題を解決し、高く評価してもらいました。すると、次は「ある量産立上げまでの生産計画を示して欲しい」と言われました。日本で生産するとコスト的に不利なので、アイシン精機のチェコ工場をはじめ、フランス、ハンガリー、イタリアなど、世界9か国を飛び回って生産体制を整えました。まだ受注前でしたが、技術に絶対的な自信があったからこそ、無我夢中でした。

日本に戻るたび、当時まだ平社員だった私に、社長は顔を合わすたびに「順調か?」と声をかけ励ましてくれました。上司は私が仕事をしやすいよう、関係部署との調整をサポートしてくれました。チームのみんなは限界まで一緒に戦ってくれました。関係者一丸となった努力が実を結び、初めてダイムラーを訪問してからちょうど3年後、正式発注の連絡を受けた時の喜びは今でも忘れられません。
その後も、より高品質の製品を早く届けるため、日本・北米・ドイツの三極による開発体制の整備や、会議と資料の完全英語化、VDA(ドイツ自動車工業規格)に基づく仕事のプロセス改善などに取り組み、大変多くのことを学びました。

私はチームの代表として顧客折衝を続けていましたが、あるとき「Mr.Morita、あなたが良いチームと仕事をしていることは、あなたの提案から分かる」と言ってもらったことは、今も私の誇りです。

Section.03

次の夢は、安全技術で世界一の会社にすること。

この仕事に取りかかった頃、入社当時の上司に久しぶりに出会い、あるものを渡されました。「机の中から、こんなモノが見つかったよ」。それは、入社時に将来の夢というテーマで私が書いた「10年後、メルセデスベンツの仕事をしたい」という文書でした。忘れかけていたこの目標を思い出し、やってやると決めたからこそ、実現に至りました。思い続けていれば夢は叶う。それは本当なんだと実感しました。

最近では欧州の学会などに行くと、カーメーカーの参加者から「今度はウチに来てほしい」とよく声をかけられるようになりました。欧州のライバル会社にも顔見知りができ、以前にも増して世界を身近に感じています。「アドヴィックスをもっと有名にする」という夢はある程度実現できたと思っています。思えば今まで、仕事では本当にやりたいことをさせてもらいました。次の夢は、自動運転が本格化する世界において、アドヴィックスを安全技術で世界のトップ企業にすること。次の挑戦はもう始まっています。